論理記号⇒(ならば, 論理包含, implies)の直感的説明

 世界中の学生を悩ます難物「⇒」。

A B A⇒B
T T T
T F F
F T T
F F T

 なんでAがFのときA⇒BがTになるの? 納得できない!

 既存の説明の仕方としては以下の二つがあるようだが、到底納得できるものではないだろう。

  1. 日常の言葉としての「ならば」と、論理学の「⇒」は似て非なるものであり、あくまで論理学の約束事なのでそのまま覚えよ ⇒ では論理学者はなぜそのように約束したのか。
  2. 前件(上のA)がFのときなら後件(B)で何を言っても嘘はついていない ⇒ しかし本当のことも言っていないだろう。

 これを納得できるためには、論理学に存在する次の3つの暗黙の"約束"を理解する必要がある。

 

 第一の約束。前件(上の例でのA)は、後件(B)の原因や理由ではなく、後件を主張する条件、またはその前提となる仮定を表す。
 例えば、冬の日は昼より夜が長いという命題を考える。これを⇒記号を使って表すと「dが冬の日 ⇒ dの昼の時間 < dの夜の時間」である。これは、ある日dが冬の日「だから」dの昼の時間が夜より短い、という意味ではない。ある日dが冬の日「であるときについていえば」dの昼の時間が夜より短い、という意味になる。あるいは、ある日dが冬の日だ「と仮定するならば」dの昼の時間が夜より短いという意味である。
 だがそうするとAがFのときについては何も言っていないということになる。しかし次の2つの定理を組み合わせると、この場合はTと定義した方が自然ということになるのである。

 第二の約束。命題「P」は常に、「Pの真理値が真(T)である」という命題に書き換え可能である。「dが冬の日 ⇒ dの昼の時間 < dの夜の時間」は、常に「(dが冬の日 ⇒ dの昼の時間 < dの夜の時間) という命題の真理値はTである」に書き換え可能である。書き換え可能であるというより、書き換え可能でなければならないといった方がわかりやすいかも知れない。

 第三の約束は第二の約束の拡張である。命題には変数が入ることがあるが、この場合、その命題はその変数に何が入ってもその真理値が真(T)であると主張していることになる。上の例で言うと、dには様々な日を入れることができるが、それらすべてにおいて真理値がTであると主張することになる。別の言い方をすると、dによっては真理値がFになるなら、その命題の真理値はFになる。命題に出てくる変数には常に「任意の」「すべての」「∀」という言葉が頭に付いているとも言える。さらに別の言い方をすれば、「変数の全称記号∀による束縛は省略できる(省略されている)」ということである*1 *2
 日常的な表現として、例えば「ある人pは女子である」と何の前提もなく断言したら、それはそれが常に真であるという仮定を表明したと考えるか、そう考えられないのならその命題は偽であると考えるのが普通だろう。正しくない場合があるのに断言していたらそれは間違いというのが常識的な読みなのである。

 さて、仮に真理値表でAがFのときの少なくともいずれかの行のA⇒Bの値にFを割り当てたとする。元の命題を考えると、dには例えば秋の日が入ることもあり得る。したがってAにあたる部分はFになりうる。一方その場合、Bにあたる「dの昼の時間 < dの夜の時間」はTにもFにもなり得る。両方合わせると、A⇒BはFになり得ることになる。すると、第三約束で書き換えた命題「(dが冬の日 ⇒ dの昼の時間 < dの夜の時間) という命題はdに何が入っても真理値がTである」の真理値もFになってしまう。しかし、元の「dが冬の日 ⇒ dの昼の時間 < dの夜の時間」というどう見ても妥当な命題がFとなるのはおかしい。するとやはり、AがFのときはA⇒BはすべてTでなければならない。

 第三の約束については、全称記号の省略の慣習があるというだけでは根拠が弱いように思われるかも知れない。第三の約束を正面から認めようとすると、論理学の用語で言うと開いた論理式について真理値を定義するということになり、この点について実は論理学者の流儀は一致しないようである。認める学者の代表としてタルスキがいる…ということのようだが、正直詳しくは知らない。
 いずれにせよ、ここで説明しているのは、あくまで⇒をどのように定義するかの動機に過ぎないので、「もしそれを認めるとしたらこうしておくと便利だから」という程度に理解して欲しい。

 以上の説明は命題論理でなく述語論理なので、論理学のテキストで⇒を導入する初めの方では持ち出しにくい説明かも知れない。